YOU AND I

ほみんちゃんおかえりなさい

その深さを理解することはできないけれど

 

 

あけました。

前回の記事の最終更新がまさかの一年以上前で、まだ入隊中のほみんちゃんが会ってましたねっていう内容で、今や二人は無事お勤めを終えてツアーも京セラのラストを残すのみ?なのかな?本当にただ生きているだけで時間の流れの速さを実感する毎日だけれど、オタ活にしっかり励めている日々の方が、特に韓ドルは、情報過多だから毎日が濃かったというか一日に脳みそに刻み付けるお写真や出来事が多くて体感時間が長かったような気がする。

 

自分自身の生活にいっぱいいっぱいだった期間に一度だけ行けたほみんちゃんおかえりなさいツアーは本当に本当に素晴らしかった。もうほみんちゃんのライブレポを詳細にあげられるほどほみんちゃんをきちんと追えていなくて、ただただ楽しむ為だけに東京ドームに入ってみたらそれはそれは価値のある時間で幸せでした。お金を払った分、もしかしたらそれ以上に心が満たされて、エンターテイメントってこういう事なんだなって思ったりしました。前みたいにほみんちゃんをある意味俯瞰にある意味のめり込んで見れなかったのはSTLで私の腹の中で暴れまわっていた彼のせいでもあるんだけれど、初めての距離感でみれたほみんちゃんは本当に本当に素敵でアーティストなのか、歌手なのか、アイドルなのか、どのカテゴリーで表現するのが一番なのか分からないけどとにかく夢をみさせてもらえた。夢っていうかなんていうかふわふわして実生活に残るものではなくて。心においてあるものみたいな、よくわかんねだけど。ゆのひょんはかつて5人いつまでも仲良くわちゃわちゃ神起っていう夢という名のファンの幻想を壊してしまったっていう自責があるんじゃないかって書いたな。(結果的に)一番酷い形でファンを夢から覚めさせてしまったから、いつまでも夢をみてるよって伝えたかったの言葉が刺さった私なんですが。東方神起第三章はほんとに潔くて彼らが何をファンに見せたいのかが明確でかっこよかった。見た目の、造形美の美しさはもうなにも言うまいだし、ゆの痩せてた。5万人ひとりひとりに物を与えられないほみんちゃんは確かに物ではない何かを私に置いて行ってくれました。この「何か」がまた次のライブ行こうに繋がるんだろうな。言葉にできない何かを無理やり言葉にしたら私の場合「夢」でした。ほみんちゃんを好きで良かった。

 

いままでほみんちゃんを、というか5人の時から追っていて辛い事とかもうどうしようもないほど誰かを憎んでしまう事がどうしてもあって、その度によくしゃをるちゃんはいいなぁと思っていました。呑気なビギ婆めって捉える方がいたのならただただ申し訳ないです。カケモというか雑食というか、そういう私が知れる範囲のおさいぬちゃんは5人がいつまでも仲良く作品のクオリティもとても良くファンの雰囲気も良くて日本活動のタイミングや内容も良くて歌も良くダンスも良くメンバーのキャラクターも良くというようない良いとこ尽くしの陰のないひたすら陽のグループでした。おぬさんのことがあってからなんとなくそれだけではいられないのかなぁなんて見ていたけどなんやかんやとまた5人そろったぴんなぬんおさいぬちゃんがいつだってこの地球上に在ると思って疑わなかったよ。

 

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この曲にじょんの求めていたものが詰まっていたような気がして泣いてしまいました。音楽が彼の慰めだったのかな。曲を紡いで誰かの歌声としてもう一度それが自分の耳に入ってきて取りこむ事でじょんを苦しめていたものから逃れられたり忘れられたりした瞬間があったって思いたい。だって彼の音楽に救われた人間がこの世界にたくさんいるのだろうから。一番に癒されるのがじょんであってほしかったけれどそういう自己満足では作品は作れないのだろうし、創作に対する悩みもあったという話をみたので、こんな私が何かを推測したりすること自体がおこがましい話です。いつだか私はおさいぬちゃんの曲の中でViewが一番好きですって記事にしたんだけれどじょんがいなくなって初めてじょんの言葉で作られた曲だったことを知りました。恥ずかしいけれどもっとじょんが作ったものに真摯に向き合っていれば良かったなって自分なりの悔しい気持ちがすごくあって。人は失って初めて気づくってよく聞くけどほんとそれ。

 

どうか4人のドーム頑張ってとしか言えなくて、成功しますようにもなにをもってしても5人を探すだろうし、無事終わりますようにももうメンバーもファンも十分傷ついただろうし、言葉がないです。公式からのお手紙で唯一てみんちゃんの文面にはじょんの名前がなくて(翻訳文を読んだだけでもし本文にハングル表記があったらごめんなさいてみんちゃん。)「メンバー」という単語に置き換えられていて、それはまだじょんの声を聴いてしまうのが辛くてプレイリストからおさいぬちゃんの曲を外してしまうファンの気持ちと重なる部分があるようで泣けました。言葉にするのが辛い、文字にするのが辛い、形になるともういなくなった現実がくっきり輪郭を成すようで怖い。そんな感覚を私は祖母を亡くしたときにもったから。これも推測でただのビギ婆が書くことでもないのかも。

 

とにかくじょんがいなくなってさびしいよ。